先週、地元の花火大会がありました。
今済んでいるマンションからは、2駅離れたところで開催されるのですが・・ 花火はきれいだし、いかにも「日本の夏~!」っていう季節感があるので大好きなのですが・・ なんとなく「引いている」自分がいるのをはっきりと感じます。 毎年、そうなんですよね・・ 5月のお祭りも、1月のだるま市も、季節の行事に参加したくない自分がいるのです。 弟にも「見に行こう」と誘われたのですが、新宿から帰る時間が遅めだったので 結局断ってしまいました。 行こうと思えばいけたのに・・。 このなんとなく「行きにくい」という感覚はなんだろう・・と、じーっと心の中を内観してみました。 きっとあるぞ、心のゴミが。 そんな感覚を味わいながら歩いていると、自宅前の広場で、お母さんと3歳くらいの少女が遠くに上がる花火を見ているのに目が留まりました。 その姿を見て、なんとなく母親を思い出しました。 母が亡くなって26年過ぎました。 母が亡くなったとき、私は泣きませんでした。 泣かなかったのか・・?それとも泣けなかったのか・・? 自分でもよくわかりません。涙が出なかった理由は、今もまだ謎です。 そんなことがあって、昨日は久しぶりにレイキの12ポジションの自己ヒーリングをしてみました。最近講習を始めた発展型レイキである 「カルナ・レイキ」のシンボルを使ってみたのですが・・ いや~思い出す、思い出す。 まるで思い出を閉じ込めた箱のフタが、突然開いたかのように・・ 幼稚園に向かう道・・幼稚園の制服、先生、そして集団になじめない自分の気持ち。 通園の途中、よくおまいりしたお稲荷さん、今は亡き同級生の幼稚園時代の顔、声。 春の桜、梅、道端に顔を出すツクシやふきのとう。 夏のむっとするような草の匂い、茶畑、セミの鳴き声。 秋の風にゆれるススキの穂、虫の音。 そして冬の霜柱を踏むザクっという音、母と一緒に作った雪だるま・・ 母といつまでも一緒だと思っていた、あの頃。 母もまたずっと子供たちと一緒だと思っていたことでしょう。 ふみ子が大人になったら、姉妹みたいに流行の服を着るんだとよく言っていました。 ヒーリングをしている手が体から離れません。 私にはまだまだ癒す必要がある「心の部屋」があるようです。 レイキファーストを習ってから、しつこく1年間自己ヒーリングをしましたが、 これからまた再開しようと思いました。 やっぱりレイキはすごいなあ・・。 この悲しみというゴミが癒されたら、私の孤独グセ、さみしがり屋がなくなるのかもしれません。 もっともっと、今以上にハートを開きたいから、自分で自分を癒します。 そんなことを考えていたら、8月1日の啓子さんのブログに似たような内容が書かれていて びっくり。彼女とはよくシンクロします。 ヒーリングには終わりが無い。人生に完成がないように。 なぜならば、変化し続けることがエネルギーの本質であり、宇宙の存在としての本質だから。 そう、だから私も変化し続ける。 そのために自分で自分を癒すのだ。 もういらないものや、役に立たない考え方は捨てて、 新しいもの、新しい自分を受け入れるために。 ヒーリングスペースBIOS(ビオス) セッションのご予約はこちらのHPからお願いします。
by fumiko_iwai
| 2007-08-08 11:40
| ヒーリング
|
ファン申請 |
||